弽作りの動機

無争弽

  私の家の家業はサクランボと柿の移出業でした。繁忙期は3ヶ月位で、他の時期は弓を引いておりました。私は物を作る事が元来好きな性格でしたので、繁忙期は家に戻りながら矢作りの習いに出かけていました。弓具店を二足の草鞋で始めました。

 その頃は今のような、大離れはほとんど見られず、七段頃も講習会等では、何時も「学生ではないのだよ!離れは良いが、残身が大き過ぎるから、15cm程もっと小さくしなさい」等と指摘を受けておりました。前記の道程で記した理由から、大離れの引き方を探究していく中で、突き当たった事がありました。それは、弽の問題です。どんな仕事やスポーツでも内容に合った道具があり、その道具に合った使い方が有るはずです。弓も射法が違えば用具が違い、その用具にあった使い方があるはずで、整合しなければならないと思った事です。残念ながら弽に無頓着に馴れ甘んじている方のほうが多いようです。射の理論と弽の構造理論は合致しなければならない。大離れを探求しているのに、小離れに適した従来の弽の構造に疑問が生まれ、弽師さんにお願いしても私の希望には作ってもらえず、悩んでいたら「それなら自分で作ったら」と言われ、独学で造り始めたのが動機でした。全くの独学で作り始め、試行錯誤を繰り返して現在に至りました。そのような事から一般的な弽師さんの製法とは違い、構造も独特なものになっております。